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「三方良し」通信

笹谷秀光の「三方良し」通信。SDGsで日本が出遅れたのはなぜ? 知っておきたい2つの側面

2021年12月19日

 

Forbes Japan Web からの転載です。https://forbesjapan.com/articles/detail/42948/1/1/1

 

SDGs、日本はなぜ出遅れた? / Getty Images

SDGsが2015年の9月に採択されてから、まもなく6年になる。目標としている2030年まで、あと10年を切った。残念ながら、欧米に比べ日本企業は出遅れていた。

しかし、ようやく最近になり、コロナ禍の自省の中で、大企業を中心にSDGsへの対応が急加速している。スロースターターだった日本だが、一度点火すれば早いのも特性だ。

そこで本稿では、日本が出遅れてしまった理由を分析しながら、ぜひ知っておいていただきたい、SDGsの重要な「2つの側面」に迫りたい。

SDGsはなぜ“スルー”されるのか


SDGsは突き詰めると文明論ではないかと感じる。SDGsの取り組み方も国の文明によって異なる。例えば、SDGs先進国であるスウェーデンのグレタ・トゥーンベリへの反応などにもお国柄が表れる。また、ミレニアル世代とか、それより若いポストミレニアル世代のほうが、SDGsに高い関心を寄せる比率が非常に高い。

その点、日本には、「三方良し」(自分良し・相手良し・世間良し)という商習慣や「和の精神」があり、SDGsの目標17「パートナーシップ」は根付いている。SDGsを加速させるポテンシャルは極めて高い。
 
 
ところが、昔から根付いていることがかえって「くせ者」にもなっている。「わざわざ外来のSDGsなどいらない」との議論になりやすいのだ。ここが運命の分かれ目になる。

SDGsに対する間違った思い込みでSDGsを「スルー」してしまう人がいる。筆者はこれを「SDGsスルー」と呼んでいる。「三方良し」をベースにするのはよいが、今のところ世界には通用しない。

滋賀県彦根市にある「三方よし研究所」に行った際、三方よしの古文書などの展示と並んで、同様に心得とされる「陰徳善事」という言葉に目が留まった。「あ、このせいだ」と思った。

これは、「人知れず社会に貢献しても、わかる人にはわかる」という意味である。日本人の美徳であるが、日本企業を内弁慶的にしているのはこの考えの影響であろう。この内向き志向のメンタリティーが日本企業の島国内過当競争により起こりやすい「ガラパゴス化」の一因でもあるのだ。

今は、世代の違いで「わかる人にはわかる」といった空気を読む方法は通じない。ましてやグローバルには通用しない。世界の競合企業がうまく発信している中ではとても戦えない。それに、発信しないと同じ志を持った仲間が増えない。仲間内だけではイノベーションも起こりにくい。
 

終わらない「解読作業」


日本では現在でもSDGsの「解読作業」が盛んに行なわれている。SDGsの認知度向上にはよいことであるが、いつまでも本質をとらえずに字面だけで暗記型の解読作業をしていると、「SDGsのガラパゴス化」につながりかねない。

人権・気候変動・労働慣行・調達など刻々と深まる世界課題の認識がないと、ビジネス・リスクに見舞われる。解読を終えて早急にこの共通言語を“使いこなす”べきだ。

では、日本企業はどうすべきか。筆者はこれまでに、農林水産省・環境省・外務省での行政や、伊藤園の取締役などを経験、現在は千葉商科大学で教授を務めており、たまたま産官学を渡り歩いてきた。その経験の中で編み出した“SDGs活用法”が、日本企業になじみの深い「三方よし」を補正して、「発信性」を加える方法だ。


 
 
「三方良し」は日本のビジネス界で広く知られているので、この言葉を使えばストンと腹に落ちる。そのため筆者は、日本企業におけるSDGs推進の解決策として「発信型三方良し」を提唱し理論化してきた。「三方良し」のひとつである「世間良し」がSDGsだと考えればよいのである。そして発信力の強化には、世界共通言語であるSDGsが役立つ。

これが現代版「三方良し」ビジネスだ。CSRだ、CSVだ、ESGだ、といっても借り物の概念になりがちである。より多くの日本人の腹に落ちる形で、自分事化していくことが必要だと思う。

側面1. SDGsは世界を読み解く「羅針盤」


さて、本題に入ろう。昨今、新型コロナによるパンデミックで社会が激しく変化し、未来に向けた「グレート・リセット」(大変革)とパンデミックからの「より良き回復」が求められている。このうねりの中で、あらゆる人や企業は新たなサバイバル競争のフェーズに入ったといえるであろう。

この混迷の時代に世界を読み解く「羅針盤」が欲しいところだ。それこそがSDGsの重要な側面のひとつである。

SDGsは、持続可能な社会づくりに関する様々なルールの集大成。先進国も途上国も、政府も企業も関係者もすべてが関わり、自主的に取り組む2030年に向けた目標である。要するに、地球規模の課題を考え、「持続可能な未来の発展」について語るための世界の共通言語であり、世界に通用する「羅針盤」なのだ。



例えば、今回のパンデミックは、SDGsでどのように解釈できるであろうか。17の目標から構成されるSDGsの目標3は「健康」であり、その目標のターゲットのひとつに「感染症への対処」がある。そして目標17には「パートナーシップ」が明記されている。このことから、パンデミックからの「より良き回復」に向けては、3番・17番を軸としながら、ほかの目標と関連させて総合的に思考することが必要だと解釈できる。

また、新型コロナの影響で自治体の役割もクローズアップされている。これは目標11の「住み続けられるまち」が羅針盤になる。コロナ禍では、国はもちろん、市町村の対応が市民から高い関心を集めるようになった。我々は、やはりローカルの一員であると改めて気づいたのである。
 

側面2. SDGsは自主的に守るべきルール


もうひとつ、SDGsには重要な側面がある。SDGsは、自主的取り組みが基本でありいわば「やれる人がやれるところからすぐにでも着手しよう」というルールだ。そうしなければ、もはや地球規模の課題の対処に間に合わないという危機感が背景にある。

このため、欧州のSDGs先進国では2015年9月以降、ただちに活用が始まった。しかし日本には「自主的ルール」のなじみがなく、「やってもやらなくてもいい」となってしまう。また、横並び志向で、誰が業界の中でやっているのかを気にしたり、取り組む意味や、やり方について「お上」からの指針を待ったりと、いまだに解読作業が終わらない。

実はこの「自主的ルール」は怖い。どんどん差がつくからだ。ぼうっとしていれば置いていかれる。欧米に置いていかれるばかりか、国内でも埒外に置かれることになる。

日本の企業は横並び思考から一刻も早く抜け出して、すぐにでも自社は何をすべきか、自分は何ができるかを考えなければいけないだろう。今ならまだぎりぎり間に合う。つまり、SDGsを「自分ごと」にする。自社に当てはめ、重点事項を選び、的確に発信するのだ。特に、SDGsの活用結果の対外的な説明責任が重要になる。
 
 
SDGsが日本に合っているとは限らないけれど…

松尾芭蕉の「不易流行」という考えがある。芭蕉の俳論といわれるこの考えは実にクールだ。サステナビリティ(持続可能性)の本質をうまく言い表す表現だと思う。

「不易を知らざれば基立ちがたく、流行を知らざれば風新たならず」(『去来抄』)というもので、「不易」=いつまでも変わらないこと、「流行」=時代に応じて変化することを指す。要するに、「変化しない本質的なものをよく見極める一方で、新しい変化も取り入れていく」という考えである。

今、国づくり・地域づくり・企業経営などに求められているのは、中長期的な展望に立った持続可能な設計だ。SDGsは、そのためのより良い方法を見つける“きっかけ”となり得る。

SDGsを盛り込んだ2030アジェンダでは、企業の力として創造性やイノベーション力に期待している。本業を使ってSDGsに貢献していくためにはどうすれば良いか──、それは次回以降のコラムでご紹介したい。

文=笹谷秀光

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