2022年11月8日
記事のポイント
- 海外からの個人旅行が2年ぶりに解禁、価値観に訴える「観光設計」が重要
- 観光業界が参考とすべき事例に長野・千曲の「日本遺産活用」がある
- その土地に根付く歴史や文化を生かした「官民の協創」を紹介
海外からの個人旅行が2年半ぶりに解禁され、国内でも全国旅行支援が始まった(いずれも10月11日から)。新型コロナで大きな影響を受けた旅行業界、観光業界の今後の対応が注目される。コロナ禍の中での「自省」の時間を経て、今後の方向性を探る上で参考となる「協創の鼓動」を示したい。(千葉商科大学基盤教育機構・教授/ESG/SDGsコンサルタント=笹谷 秀光)
■日本文化遺産:長野県「月の都 千曲」
長野県の日本遺産に『月の都 千曲-姨捨の棚田がつくる摩訶不思議な月景色「田毎の月」―』がある。これは、日本人の美意識を表す「月見」の名所だ。歴史的に文学や絵画の題材となってきた「姨捨山に照る月」、「田毎の月」を題材にしている。
日本遺産のサイトによると、姨捨は地名の響きから、棄老物語を語り伝えてきた。それは、月見にちなむ文芸への遊び心を鼓舞する一方、棚田での耕作や伝統行事を通じて古老の知恵と地域の絆を大切にする教えを育んできたという。
この日本遺産の構成文化財は、長楽寺境内と歌碑群、歌川広重作 浮世絵「信濃更科田毎月鏡台山」、揚州周延作 錦絵「更科田毎の月」、藤原信一作 教訓画譜「姨捨山之図」、武水別神社や、姨捨の棚田、姨捨駅 駅舎などである。
加えて、登録有形文化財になっている、長野銘醸酒蔵、坂井銘醸酒蔵、千曲川のハヤのつけ場漁や蕎麦・おしぼりうどん・おやきも含まれている。
同じく登録有形文化財である、戸倉(とぐら)上山田温泉 笹屋ホテル別荘(豊年蟲)も構成文化財の一つだ。笹屋ホテルに宿泊して周辺を回ってみた。
姨捨と呼ばれる現在の千曲市更級地区と同市八幡地区は、姨捨山の異名を持つ冠着山のふもとに広がっている。眼下には日本一長い千曲川が流れる素晴らしい田園風景がある。
「姨捨(おばすて)の棚田」は次のように様々な評価を受けている。
・1999年に「姨捨(田毎の月)」が国の名勝に指定
・1999年に農林水産省により「日本の棚田100選」に選定
・2008年に日経プラス1紙面(9月6日号)で全国第1位の「お月見ポイント」に選定
・2006年に棚田は特別史跡名勝天然記念物に指定
・2010年には「姨捨の棚田」として重要文化的景観として選定
千曲川を挟んで対岸に連なる山並みの一つ、鏡台山から昇る月が美しく見える観月の名所だ。この一帯には、芭蕉が来訪して有名になった長楽寺と、「田毎の月」の言葉で知られ、姨捨棚田は棚田としては全国で最初に名勝となった。
江戸時代中期には松尾芭蕉がここを訪れ「更科紀行」の中で有名な句を披露している。
「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとり泣く月の友」
芭蕉の母が亡くなったのは更科への旅の五年前でまだなまなましい感情があったといわれている。
■日本文化遺産のホテル
戸倉上山田温泉の歴史をたどると、1893年(明治26年)に戸倉村の蔵元 坂井銘醸の坂井量之助が千曲川の中洲に戸倉温泉を開湯したのが始まりという。1903年(明治36年)9月に坂井量之助によって老舗旅館「笹屋ホテル」(当初は清涼館笹屋ホテル)が創業した。
ホテル(旅館)が日本遺産の構成文化財を有しているのは珍しい。この「笹屋ホテル」の一角にある、数寄屋造りの8室が志賀直哉の小説にちなんだ別荘で「豊年蟲(ほうねんむし)」と呼び、これが構成文化財である。
この別荘はホテルが創業100年を迎えた2003年に文化庁より登録有形文化財指定を受けた。2階には志賀直哉などの資料館もある。1927年(昭和2年)に文豪・志賀直哉が逗留中に短編小説「豊年蟲」を執筆したことで有名だ。
「豊年蟲」とは千曲川から羽化する蜉蝣(かげろう)のことで、地元ではこれを数多く見た年は豊作になるという話を紹介している。志賀直哉の鋭い人間観察力、自然と人間の関係や生命の深さの表現に惹かれるが、特に小説の最後に出てくる死にかけた蜉蝣の描写は、生物多様性と命のはかなさの奥深さを感じさせる。
「豊年蟲」に出てくる次のような文章にあやかって散歩したくなる。「書いて疲れる。湯に入る。寝転んで本を読む。それでなければ、散歩する。」
豊年蟲の内容の深さのみならず、さすがにテンポがよい文章だ。久しぶりにSDGsなどの横文字ではおそらく示しきれない、日本の自然や景観、人々の営み、温泉の癒しと歴史・文化を感じる。
日本のまちの良さを、開発者坂井量之助、俳人松尾芭蕉や文豪志賀直哉からも学び、「協創」のヒントを探りたい。