2024年7月24日
広岡浅子に学ぶ「九転十起」の経営
この本の内容
今の時代はまさに経済、地政学、社会、文化そして人の価値観までもが、大きくかつ連続的に変化する「激変の社会」である。明治~大正期の日本も、現代と同じような「激変の社会」の渦中にあった。まだ女性経営者がめずらしかったその時代を生き抜いた実業家、広岡浅子にスポットをあてる。広岡浅子は、豪商「京都出水の三井家」に生まれる。1867年大坂の豪商「加島屋」に嫁ぎ、明治維新後の経営を立て直す。1884年炭鉱経営に乗り出し、1888年に加島銀行を設立、1902年には大同生命の創業に参加する等、商才を発揮した。1901年には日本で最初の日本女子大学校(後の日本女子大学)の創立に携わった。実業界から引退後は社会活動を行った。
第9章 SDGs的視点でみる、関係者連携と変革の起こし方(執筆:笹谷秀光) より抜粋
ポストSDGsへの広岡浅子の示唆:「九転十起」
SDGsは自主的取り組みであるので、突き詰めると文明論の側面がある。SDGsの取り組み方も国の文明によって異なるとつくづく思う。
日本には、和の精神や「三方良し」(自分良し・相手良し・世間良し)のようなマインドがある。このようなマインドがある日本はSDGsを加速させるポテンシャルは極めて高い。ところが、これが「くせ者」だ。このため、「わざわざ外来のSDGsなどいらない」との議論になりやすい。ここが運命の分かれ目になる。
和の精神や三方良しはよいが、今のところ世界には通用しない。それは陰徳の美を良しとして、あえて自分から発信しないことが多かったためだ。
そこで、三方よしを補正して、「発信性」を加えるべきと考え、私は、「発信型三方良し」を提唱してきた。「三方良し」の「世間」の課題が、今はSDGsだと考えればよいのである。つまり「発信型三方良し」を「SDGs化」していけば世界に通用する。これが現代版「三方良し」だ。
今回は浅子から学び、「発信型三方良し」の深化につなぐため、これに「九転十起」の心得を加えたい。浅子の「九転十起」の精神は現在の日本人が参考にすべき理念である。
終わりに、浅子の次の言葉を挙げたい。現在の「人的資本経営」やリスキリング、アップスキリングなどを考えるうえで、年齢ではなくあくまでも「適材適所」であるという本質をついている。
「老といい、壮と称するは、 腕と力と人格とによってこれを定むるのほかはない。老者必ずしも老朽たらず、壮者必ずしも有用の材たらず、青年者必ずしも人格者たらざるのであるのである」。