笹谷秀光 公式サイト | 発信型三方良し

「三方良し」通信

笹谷秀光の「三方良し」通信。戸倉上山田温泉にて(ホームページ開設記念)

2018年8月4日

皆様こんにちは。このホームページ開設記念に温泉で日本文化について考え執筆しました。

戸倉上山田温泉で感じた事

「笹屋ホテル」

信州を代表する温泉の一つである戸倉(とぐら)上山田温泉に行きました。長野県の千曲川沿いにあります。戸倉温泉には、1903年(明治36年)創業の老舗旅館「笹屋ホテル」があり泊まりました。

1927年(昭和2年)に文豪・志賀直哉が逗留中に短編小説「豊年蟲」を執筆したことで有名です。「笹屋ホテル」の一角に数寄屋造りの8室が志賀直哉の小説にちなんだ別荘として「豊年虫」が1932年(昭和7年) に設計されました。設計者は旧帝国ホテルを手掛けた世界的な建築家、フランク・ロイド・ ライトに師事した最初の日本人建築家、遠藤新だそうです。

ホテルが創業100年を迎えた2003年には文化庁より登録有形文化財(※)の指定を受けています。2階には志賀直哉などの資料館もあります。
※文化財保護法により有形文化財の中から国宝、重要文化財、登録有形文化財を指定・登録し保護する制度

庭園を彩る四季、静謐に包まれる安らぎ、温泉宿ならではの旬の味わいといで湯。そして積み重ねられた時の長さだけが可能にする建築と自然の調和がここにあります、というのがホテルの案内です。まさに日本の温泉の特色を言い表していて、ここで志賀直哉が短編小説「豊年蟲」をどのように執筆していたのかという点にも興味が惹かれます。

明治の開発者・坂井量之助

戸倉上山田温泉の歴史をたどると、1893年(明治26年)に戸倉村の坂井量之助が千曲川の中洲に戸倉温泉を開湯したのが始まりです。この笹屋ホテルも1903年(明治36年)9月、坂井量之助によって千曲川右岸に「清涼館笹屋ホテル」として開業しました。

坂井家は1596年(慶長元年)以来の酒蔵でもあり、現在も戸倉駅付近で旧家を改装した蕎麦屋やお土産物屋として営業しています。戸倉駅前すぐ、萱葺屋根が目印で、築250年の有形文化財として登録されています。有形文化財としての登録制度や歴史的建造物の活用は今後のまちづくりの重要な要素です。

元々は酒屋(蔵元 坂井銘醸)の母屋として使用していた座敷9室を、古文書を頼りに復元、蕎麦屋として平成6年に開店したと案内にあります。江戸時代の面影を残す民家造りの店内で食した十割そばを楽しめました。
蕎麦料理処 萱
http://www.sakagura.co.jp/kaya/index.html

姨捨の棚田

萱葺屋根の酒蔵がかつての戸倉村を想起させますが、この温泉のすぐ近く、車で15分くらいのところに、「姨捨(おばすて)の棚田」があります。この棚田は次のように様々な評価を受けています。

・1999年に「姨捨(田毎の月)」が国の名勝に指定
・1999年に農林水産省により「日本の棚田100選」に選定
・2008年に日経プラス1紙面(9月6日号)で全国第1位の「お月見ポイント」に選定
・2006年に棚田は特別史跡名勝天然記念物に指定
・2010年には「姨捨の棚田」として重要文化的景観として選定

 

姨捨と呼ばれる現在の千曲市更級地区と同市八幡地区は、姨捨山の異名を持つ冠着山のふもとに広がっています。眼下には日本一長い千曲川が流れる素晴らしい田園風景です。現在では棚田を維持するため、棚田オーナー制度があり棚田の保全を図っていて、棚田ごとにオーナーの名前が書いてあります。

千曲川を挟んで対岸に連なる山並みの一つ、鏡台山から昇る月が美しく見える観月の名所です。この一帯には、芭蕉が来訪して有名になった長楽寺と、「田毎の月」の言葉で知られ、姨捨棚田は棚田としては全国で最初に名勝となりました。

 

松尾芭蕉の来訪

江戸時代中期には松尾芭蕉がここを訪れ「更科紀行」の中で有名な句を披露しています。この芭蕉の旅は1688年(貞享5年)で、芭蕉文学の集大成となる「奥の細道」の前の年です。

「俤(おもかげ)や姨(おば)ひとり泣く月の友」

芭蕉の母が亡くなったのは更科への旅の五年前でまだなまなましい感情があったといわれています。

この関連については、長野県千曲市ご出身の大谷善邦氏を代表とする「さらしな堂」というサイトで詳しく紹介されています。
さらしな堂のサイト
http://www.sarashinado.com/sarashinado/

また、歌川広重による日本全国の名所を描いた浮世絵木版画の連作『六十余州名所図会 信濃 更科田毎月 鏡台山』の一つでもあります。

日本の文化

志賀直哉の書いた「豊年蟲」とは千曲川から羽化する蜉蝣(かげろう)の事で、地元ではこれを数多く見た年は豊作になるという話を紹介しています。志賀直哉の鋭い人間観察力、自然と人間の関係や生命の深さの表現に惹かれますが、特に小説の最後に出てくる死にかけた蜉蝣の描写には、生物多様性と命のはかなさの奥深さを感じます。「豊年蟲」に出てくる次のような行動にあやかって散歩しました。

「書いて疲れる。湯に入る。寝転んで本を読む。それでなければ、散歩する。」

豊年蟲の内容の深さのみならず、さすがにテンポがよい文章です。久しぶりにCSR/SDGなどの横文字ではおそらく示しきれない、日本の自然や景観、そして人の営みや温泉の奥深さを感じました。日本のまちには自然と歴史と文化が根付いています。その良さを開発者坂井量之助、文豪志賀直哉や俳人松尾芭蕉からも学びました。

青柳正規先生(元文化庁長官)が「文化立国論─日本のソフトパワーの底力」(筑摩書房ちくま新書)で示された「暮らしに自然と根付くもの、身をゆだねたい心地のよい日本文化」に気づき同書を読み直しました。

 

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