2026年8月9日
世界遺産「飛鳥・藤原」とマルタに共通する「古代コミュニティ」とは
- 「飛鳥・藤原の宮都」が26年7月26日、世界文化遺産に登録された
- 世界遺産に登録された背景には、現代に残る古代コミュニティがある
- 飛鳥と地中海に浮かぶ島国「マルタ」との共通点も踏まえて解説する
奈良県にある「飛鳥・藤原の宮都」が2026年7月26日、世界文化遺産に登録された。日本という国家が形づくられていく過程を示す歴史的価値が、世界共通の遺産として認められた証だ。今回の登録に関する報道や映像を見ながら、私の頭に真っ先に浮かんだのは、飛鳥ではなく、地中海の中央に浮かぶ小さな島国「マルタ」である。(千葉商科大学客員教授/経営コンサルタント=笹谷秀光)。
■マルタの風景を「飛鳥」が思い起こさせた
「なぜ飛鳥からマルタなのか」と思われるかもしれない。時代も文化も、地域も全く違う。
しかし私には、両者には共通する特徴があるように思えてならない。それは、単なる遺跡ではなく、「古代コミュニティと現代コミュニティが同じ土地で重なり合っている」という点である。
飛鳥・藤原を紹介する映像を見ると、広大な遺跡公園が広がっているわけではない。田畑があり、集落があり、人々が普通に生活している。その地下には、日本国家成立の舞台となった宮殿や官衙、寺院などの遺構が眠っている。
必要な範囲だけを発掘し、調査を終えると再び埋め戻す。その上で農業が続き、人々の暮らしも続いている。
私は、この映像を見ながら、「どこかで見た風景だ」と感じた。そして思い出したのが、マルタで体験した地下神殿であった。
■五千年前の世界がごく普通の住宅街の地下に
マルタは人口約60万人、地中海のほぼ中央に浮かぶ小さな島国である。しかし、ユネスコ世界文化遺産を三件も有する文化遺産の宝庫でもある。私が訪れたのは、その一つであるハル・サフリエニ地下墳墓(地下神殿)である。
訪問前、私は勝手なイメージを抱いていた。地下神殿というからには、エジプトやギリシャの神殿のような壮大な遺跡が地上にもあり、その地下へ降りていくのだろうと思っていたのである。
ところが現地に着いて驚いた。
そこは遺跡公園ではなかった。ごく普通の住宅街である。人々が暮らし、自動車が行き交い、子どもたちの声が聞こえる。その一角でガイドが「こちらです」と案内した建物を見ても、到底世界遺産の入口とは思えなかった。
通常の住宅の入り口から入る。本当にここなのだろうか。
そう思いながら建物に入り、階段を下りていくと、突然、約五千年前の世界が現れる。岩盤を掘り抜いた空間が幾重にも続き、人々が祈り、死者を葬り、共同体として生きていた痕跡が、そのまま保存されているのである。
地上では現代の人々が暮らし、その地下には古代コミュニティの記憶が眠っている。
この体験は、私にとって世界遺産を見る目を大きく変えるほどの衝撃であった。
■飛鳥もマルタも「歴史」とともに生きてきた
今回の飛鳥・藤原の登録を見て、私はこのマルタでの体験を思い出した。
もちろん、両者は同じではない。
飛鳥は、日本国家成立の舞台であり、マルタは地中海文明の揺籃の地である。歴史的背景は全く異なる。しかし、共通するものがある。
それは、歴史を現在の生活から切り離していないことである。
マルタでは、現在の町並みの下に地下墳墓がある。一方、飛鳥では、現在の農村景観の下に宮殿や道路、寺院などの遺構が眠っている。
さらにマルタには、ハジャー・イムやイムナイドラなどの巨石神殿群が地上に残っている。地下だけではなく、地上にも古代コミュニティの姿を見ることができる。
飛鳥も同様である。地下には宮殿や役所の遺構が眠る一方、地上には石舞台古墳や飛鳥寺跡、酒船石などが点在している。
つまり、地下と地上を合わせて一つの歴史を語っているのである。私は、この点が非常に興味深いと思った。
遺跡というものは、発掘され、保存され、展示されるものだという固定観念がある。しかし飛鳥もマルタも、それだけではない。現在の生活空間そのものが、歴史を包み込み、守り続けているのである。
■世界遺産の主役は「コミュニティ」である
飛鳥・藤原を紹介する番組では、埋め戻しという保存方法も紹介されていた。最初は少し意外に思った。せっかく発掘したのだから、そのまま見せればよいではないかと思う人もいるだろう。
しかし、それでは飛鳥らしさは失われる。
飛鳥が守ろうとしているのは、遺跡だけではない。現在も続く農村の暮らしであり、地域コミュニティそのものなのである。
マルタでも同じことを感じた。地下墳墓だけが世界遺産なのではない。その上で人々が暮らし続けている町があるからこそ、この地下遺産は生きた歴史として存在している。
住む人は変わった。建物も変わった。生活様式も変わった。
しかし、その土地で人が暮らし、共同体を築き、土地を守ってきたという営みは連続している。
だからこそ、私は今回の飛鳥・藤原の世界文化遺産登録を、「国家誕生の遺跡が登録された」というだけでは受け止めたくない。
そこには、古代コミュニティが営まれた土地を、現代コミュニティが静かに受け継いできたという、日本ならではの歴史がある。
世界遺産とは、石や建物を保存する制度ではない。人が遺産を守り、その遺産がまた人を育てる。その循環こそが、世界遺産の本当の価値ではないだろうか。
次回は、この飛鳥とマルタの比較をさらに深めながら、「世界遺産が守るものは何か」、そして「一過性の観光ブームで終わらせないために何が必要か」を考えてみたい。
記事のポイント
- 世界遺産が未来へ受け継ごうとしているものは何か
- 飛鳥とマルタは異なる保存方法で同じ価値を守っている
- 人が遺産を守る、遺産が人を育てる、この循環が重要だ
世界遺産に登録されたと聞くと、多くの人は遺跡や建造物を思い浮かべる。しかし、本当に世界が評価しているのは遺構や建物だけなのだろうか。飛鳥・藤原とマルタを比較すると、世界遺産が未来へ受け継ごうとしているものは、地域の歴史を支えてきた「コミュニティ」であることが見えてくる。(千葉商科大学客員教授/経営コンサルタント=笹谷秀光)
前編では、飛鳥・藤原とマルタという、一見まったく異なる二つの世界遺産に共通するものとして、「古代コミュニティ」の存在に注目した。今回は、その一歩先を考えてみたい。
■世界が評価したものは何か
世界遺産として本当に評価されているのは、遺跡そのものなのか。それとも、その遺跡を今日まで守り続けてきた地域社会なのか。
もちろん、飛鳥・藤原とマルタは同じではない。地域も時代も大きく異なる。保存の方法も対照的である。
マルタのハル・サフリエニ地下墳墓では、見学者は地下へ降り、約五千年前の遺構を直接見ることができる。一方、飛鳥では、発掘調査を終えた遺構の多くは再び埋め戻され、その上では農業や人々の暮らしが今も続いている。
一見すると、マルタは「見せる世界遺産」、飛鳥は「見せない世界遺産」である。
しかし、私が注目したいのは、その違いではない。
両者が共通して守ろうとしているのは、石や遺構だけではなく、その土地で営まれてきた人々の歴史であり、地域コミュニティそのものなのである。
■「埋め戻す」という保存思想
飛鳥では、「せっかく発掘したのに、なぜまた埋め戻すのか」と疑問を抱く人も少なくないだろう。しかし、それは単なる保存技術ではない。
私は、そこに日本らしい文化の継承思想を見る。
飛鳥には、現在も人々が暮らし、田畑を耕し、地域社会が営まれている。その営みを止めてまで巨大な遺跡公園を造ることは、本来の飛鳥の姿ではない。
地下には古代国家誕生の舞台が眠り、その上では現代の地域社会が静かに暮らし続ける。この二つが共存していることこそ、飛鳥・藤原の価値なのである。
私はマルタでも同じことを感じた。ハル・サフリエニ地下墳墓の入口は、ごく普通の住宅街の中にあり、地上では人々の日常生活が続いている。その地下には、数千年前の古代コミュニティの記憶が静かに眠っている。
見せ方は異なる。しかし、「現在の暮らしを大切にしながら歴史を未来へ受け継ぐ」という基本思想は共通している。
世界遺産とは、過去だけを保存する制度ではない。現在の地域社会とともに未来を育てる制度なのである。
■国際的に重視される「コミュニティ」
国際社会では近年、「コミュニティ」という考え方が改めて重視されている。
SDGs目標11は、日本語では「住み続けられるまちづくりを」と訳されているが、英語では Sustainable Cities and Communities である。持続可能性の対象は都市だけではなく、「コミュニティ」そのものなのである。
日本では「まちづくり」という言葉が広く使われる一方、「コミュニティ」という視点は必ずしも十分に意識されてこなかった。しかし、本当に持続可能な社会を支えるのは建物や道路ではない。人と人とのつながりであり、その土地で受け継がれてきた地域の営みである。
飛鳥・藤原の世界遺産登録も、古代国家誕生の舞台が評価されたというだけではない。千三百年以上にわたり、その土地を守り続けてきた地域コミュニティの価値が世界から認められた出来事として受け止めたい。
■一過性のブームで終わらせてはならない
世界遺産に登録されると、日本では祝賀行事が開かれ、多くの観光客が訪れ、土産物や記念グッズの開発も進む。それ自体は地域経済への効果もあり、決して悪いことではない。
しかし、それだけで終わってしまっては惜しい。
私たちはこれまで、登録直後には大きな話題となりながら、数年後には「あの時、世界遺産になった場所」という程度の印象だけが残る例を少なからず見てきた。
飛鳥・藤原は、そのような一過性のブームで終わらせてはならない。
重要なのは、なぜこの地に日本の古代国家が築かれたのか、なぜ千三百年以上にわたり地域の人々がその歴史を守り続けてきたのかを、一人ひとりが自分の問題として考えることである。
世界遺産は観光のために存在するのではない。観光は価値を伝える手段であり、本質は人類共通の歴史資産を未来へ受け継ぐことにある。
■文化外交と地域の力が結実した登録
もう一つ忘れてはならないことがある。
今回の登録は、決して自然に実現したものではない。
長年にわたる学術調査、文化財の保存活動、地域住民の理解と協力、自治体や国の粘り強い努力が積み重ねられ、その成果として世界の評価を得たのである。
ユネスコ世界遺産への登録は、推薦すれば認められるものではない。資産の価値を学術的に証明し、それを将来にわたり守る体制を整え、国際的な審査を経て初めて登録に至る。
その意味で、今回の登録は文化財行政だけの成果ではない。地域、研究者、行政が力を合わせ、日本の文化を国際社会へ粘り強く発信してきた文化外交の成果でもある。
飛鳥・藤原の登録は、地域が守り続けた歴史の価値を世界と共有することの意義を改めて示した。
■人が遺産を守る。遺産が人を育てる。
世界遺産は、登録された瞬間に完成するものではない。むしろ登録後こそ、その真価が問われる。
どれほど価値の高い遺産でも、地域の人々が誇りを持ち、自らの歴史として守り続けなければ、その価値はやがて色あせてしまう。逆に、地域が主体となって未来へ伝えようとするとき、世界遺産は世代を超えて生き続ける。
地域の子どもたちは郷土の歴史を学び誇りを感じ、訪れる人々もまた、その土地の歴史から学ぶ。その積み重ねが、次の世代へ歴史を受け継ぐ力となる。
人口減少が進む中で、未来へ受け継ぐべきものは遺跡だけではない。人と人とのつながり、地域への誇り、歴史を守り続けようとする意思、そのすべてを含めたコミュニティそのものなのである。
飛鳥とマルタ。遠く離れた二つの地域で私が最も強く感じた共通点は、古代コミュニティの記憶が、現代の営みの中に静かに息づいていることであった。
私は長年、「人・コミュニティ・企業」が連携して初めて持続可能な社会は実現すると考えてきた。ビヨンドSDGsの時代には、このコミュニティという視点はさらに重要になるだろう。
「人が遺産を守る。遺産が人を育てる」。世界遺産の価値とは、この循環を未来へつないでいくことにある。








